初七日や四十九日って何の意味があるのか

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会社で昼休み、たまたまWikipediaで『三途の川』を調べていました(なぜか経緯は忘れたけど・・・)。そこからリンクを辿っていくと、『十王』という言葉に行き着き、その説明で法要として営まれる初七日や四十九日をやる意味についての記述がありました。

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はじめに

『十王』というキーワードですが、

十王(じゅうおう)とは、道教や仏教で、地獄において亡者の審判を行う10尊の、いわゆる裁判官的な尊格である。数種の『十王経』類や、恵心僧都源信の『往生要集』に、その詳細が記されている。 人間を初めとするすべての衆生は、よほどの善人やよほどの悪人でない限り、没後に中陰と 呼ばれる存在となり、初七日 – 七七日(四十九日)及び百か日、一周忌、三回忌には、順次十王の裁きを受けること となる、という信仰である。 生前に十王を祀れば、死して後の罪を軽減してもらえるという信仰もあり、それを「預修」と呼んでいた。十王は死者の罪の多寡に鑑み、地獄へ送ったり、六道へ の輪廻を 司るなどの職掌を持つため、畏怖の対象となった。

とあり、十王の中に閻魔大王もいます。たしか、三途の川→閻魔大王→十王に辿り着いたんだっけ・・・。 この中に記載のある十王の審判について以下のような記述があります。

死者の審理は通常七回行われる。 没して後、七日ごとにそれぞれ秦広王(初七日)・初江王(十四日)・宋帝王(二十一日)・五官王(二十八日)・閻魔王(三十五日)・変成王(四十二 日)・泰山王(四十九日)の順番で一回ずつ審理を担当する。ただし、各審理で問題がないと判断されたら次からの審理はなく、抜けて転生していくため、七回 すべてやるわけではない。一般には、五七日の閻魔王が最終審判となり、ここで死者の行方が決定される。これを引導引接)と 呼び、「引導を渡す」という慣用句の語源となった。 七回の審理で決まらない場合は、追加の審理が三回、平等王(百ヶ日忌)・都市王(一周忌)・五道転輪王(三回忌)となる。ただし、七回で決まらない 場合でも六 道のいずれかに行く事になっており、追加の審理は実質、救済処置である。もしも地獄道餓鬼道畜生道の三悪道に落ちていたとしても助け、修羅道・人道・天道に居たならば徳が積まれる仕組みとなっている。 なお、仏事の法要は大抵七日ごとに七回あるのは、審理のたびに十王に対し死者への減罪の嘆願を行うためであり、追加の審理の三回につい ての追善法要は救い損ないをなくすための受け皿として機能していたようだ。 十王の裁判の裁きは特に閻魔王の宮殿にある「浄玻璃鏡」に映し出される「生前の善悪」を証拠に推し進められるが、ほかに「この世に残された遺族による追善供養に おける態度」も「証拠品」とされるという。

ということで、初七日や四十九日って、亡くなった人の罪を減らすように嘆願してるんですね。弁護士みたいなもの!?なんでこんなことを調べだしたのかは別として、色々意味があるもんなんですねぇ。

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