真田幸村ゆかりの地を訪れる!【大阪編】

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歴史
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NHK大河ドラマ「真田丸」がもうすぐ始まります。「軍師官兵衛」も待ち望んでやっと大河に抜擢されたのですが、真田信繁(幸村)も昔から熱望していたので嬉しくて仕方がありません。

真田幸村が好きすぎて、10年ほど前から真田幸村ゆかりの場所を大阪市内の2箇所だけですが、訪れるようにしています。歴女にも大人気の幸村ですが、最近ではゆかりの地を訪れる女性も結構見るようになりました。そんな場所を紹介したいと思います。

今年は、かなり大阪にスポットがあたると思いますんで、近くの方はぜひ行ってみてください!

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真田丸を構えた真田山/宰相山 三光神社

JR大阪環状線の玉造駅もしくは、地下鉄長堀鶴見緑地線の玉造駅から南西に300m程行った場所に、宰相山という小高い山があります。

山と言うよりかは、丘のほうが近いかもしれません。場所で言うと上の地図の場所になります。宰相の山ということなので、宰相=真田幸村を指すのかと思いきや、

 

 「宰相山」という名称については、寛政10年(1798)刊の『摂津名所図会』に「加賀宰相侯の陣屋この辺(ほとり)にありしよりかくいふなり」とあり、安政2年(1855)刊の『浪華の賑ひ』は「京極宰相侯の陣営、この辺に有りしより、かく号(なづ)くるなるべし」と記す。「加賀宰相」は前田利常、「京極宰相」は京極忠高であるから、いずれにせよ、冬の陣に参戦した徳川方大名の陣所跡に由来するらしい。

http://ironna.jp/article/778より

 

ということらしい。ただ、これ以外にも「越前宰相」の松平忠直を指すこともあるようで、実際の所はよくわからないのでしょう。

 

この宰相山や、そのすぐ南にある真田山と言われる場所に真田幸村が陣を構えた『真田丸』があったとされており、宰相山の三光神社には、下のような幸村像が建立されています。幸村ファンからしたら垂涎モノです(笑)

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像の左には、『真田の抜穴跡』という、大阪城まで掘ったと言い伝えられている抜け穴があります。

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大阪城まで1km程あるので、後に作られた伝説だとは思いますが趣深いものがあります。ぜひ足を運ばれては!と思います。

 

真田幸村戦死の地『安居天満宮(安居神社)』

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三光神社から地下鉄玉造駅まで歩き、四天王寺前夕陽ケ丘駅まで移動後、南西に歩くこと800mに『安居天満宮(安居神社)』があります。場所は以下のところです。

 

 

私は毎年、向かいの一心寺に親族が眠っているので参るのですが、その折には必ず参拝しています。神社内にも像があります。それほど大きな神社ではないので見逃してしまうかもしれないので要注意!

 

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幸村が、大阪夏の陣で疲弊してこの神社内で休息していた所、松平忠直隊鉄砲組頭の西尾宗次に発見された後、討ち取られたということで、祀られているようです。

境内で『勝守』というお守りや、その他幸村ゆかりのグッズ(基本おまもり)が販売されています。勝守を買って嬉しくて友達に話をしましたが、

「討ち取られた所なのに勝てるお守りなのか?」

といわれ、閉口しました(笑)いいんです!幸村は強いんです!ヽ(`Д´)ノプンプン

 

以上、たった2箇所ですが、大阪市内にあり比較的行きやすい場所にありますので、ファンや、大阪出張ついでに訪れたりされてはどうでしょうか。

 

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