10月27日(日)、日経新聞に『熱風の日本史』というコラムに西南戦争後の西郷隆盛について書かれているコラムがあった。その中に、懐かしいかな、上記写真の男 『津田三蔵』 の話も掲載されていた。
はじめに
この津田三蔵、元は官軍の兵隊で、明治維新後に滋賀県守山警察署の巡査となるのだが、日本史の教科書には、
明治24年(1891年)5月11日、来日中のロシア帝国皇太子ニコライの通る沿道警備の現場において、ニコライをサーベルで斬りつけ、負傷させた
とあり、この『大津事件』を引き起こした人物として(大学受験する人や歴史マニアには)有名である。
とにかく受験生なんかにとっては、問題文に「明治時代」「ロシア皇太子」「斬りつけ」と来ると、答えは「津田三蔵」か「ニコライ」、「大津事件」となっているお決まりの人物・事件なのだが、教科書には何で斬りつけたのかということは書かれていない。
日曜読んだ新聞には、
「官軍での功績を認められた津田三蔵は、叙勲され、それを誇りに思っていた。が、西南戦争で死んだはずの西郷隆盛がロシアに落ち延び、この度皇太子と共に日本に戻ってくるという噂が世間に広がっており、それを真に受けた三蔵は、西郷が戻ってくると官軍と賊軍の立場が逆転し、勲章が取り消されてしまうのではないかと思った為の犯行」
と書かれていた。これには諸説あるらしいが、そういう時代・事件の背景が教科書には書かれておらず、日本史は単なるクイズ問題となってしまっている。ふと、コラムを読んで「そんな裏事情があったんかい!」と思ったので、ちょっと書いてみました。
子供が高校生になって、日本史をやり出し、明治維新に突入したらすぐ、NHK「翔ぶが如く」のDVD見せます。教科書読んで理解するより10倍は良い。
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