手塚治虫の『ブッダ』から読み取ったマラの語源

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 yaboonが高校生だった頃、倫理という時間が嫌いで仕方無かった。倫理という名前が気に食わなかった。単に「哲学」だろうと。あと、勉強として、人の考え方を教わり、テストにするなんてもっての外だと憤り、ほとんど勉強しなかった覚えがある。

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はじめに

ただ、そのなかでもブッダの話が出てきた時、ちょっと興味を持ち、手塚治虫のブッダを購入。短期間に一気に読み終えた。 

手塚治虫のブッダは、色々な知識を与えてくれたが、中でも 乳製品を販売している「スジャータ」は、ブッダが苦行している際に瀕死になったとき、ヤギの乳を与えてくれた村の女の子の名前ブッダが修行中に色々なマーラ(漢字では魔羅)という悪魔に襲われるが、チ○コを表す「マラ」は、ここに由来する(のではないかと勝手に判断していた)平家物語の祇園精舎は、釈迦が説法をしていたインドの寺院名。

また沙羅双樹は、ブッダが亡くなるときに咲いていた木 というのが印象深い。 2つ目のマラに関しては、疑わしかったので調べてみると大辞泉には以下のようにある。 

まら【魔羅/摩羅】(梵)mraの音写。障害破壊殺者の意》仏語。人の善事を妨げる悪神。魔王。欲界第六天の王。転じて、悟りの妨げとなる煩悩(ぼんのう)をいう。魔。1から転じたとも、排泄する意の「まる」の交替形ともいう》陰茎。 

 

やはり、私は間違っていなかった。ただ、排泄する意の「まる」の交替形というのも捨てがたい。「おまる」ってそういう意味なんですね。でも私は、マーラ=マラ案を採用したい。

 

 

 

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